新世紀エヴァンゲリオン THE END OF EVANGELION~Air/まごころを、君に


どうしても嫌なら逃げても良い。
では、そこでシンジと視聴者に問題です。

それが自分の幸せに繋がっていく。
自分や他人の概念が失われた楽園(夢の世界)で痛みも無く存在するのが良いのか、自分と他人がいて辛いことは確定しているのに幸せは有るかどうか分からない現実で生きるのか、あなたはどっちを選びますか?現実で分かりやすく言うと前者は死んで楽になるか、後者は幸せを求めて苦しんで生きてみるか。

当たり前ですが。
この作品でもシンジの父、ゲンドウをはじめミサトやリツコといった大人も何かしら問題を抱えています。

それで、TV版に収まらなかった事自体が問題でありながら、自分がTV版エヴァ 本編には最高をつけたこともあり評価には困るのですが25,26話で描ききれなかった部分の補完ではなく、あくまで24話からの続きの映画としての評価にします。
相変わらず問題多きこの作品ですが、自分はこの作品という他者から少なからず影響を受けて自我形成の一部として役に立ってくれたかなと思うので評価は「最高」を付けさせてもらいますが、実際の所、視聴者にまともに伝えることを放棄しているので悪い~最悪辺りが妥当な作品ではあると思いますシンジは逃げても良いという事を知った上で他者と生きてみる事を選びます。

あまりにも抽象的な映像表現は作家精神的には前向きで評価したい気持ちもありますが、アニメとしては視聴者に伝える所で失敗でしょうし悪かった。
どちらを選択するかの提示がフェアじゃないように思う。

そういう前向きな事をこの鬱屈した作品は主張したのだと思う。
これによって自分と他人という概念が消えてしまい、他人との摩擦も解消されるわけです。

テーマも少し変わってしまいましたし。
違うとは言っても、TV版の「自身の価値」に関する葛藤や設定を掘り下げた形で描いた結果、大人になっても悩む「他者との関わり」というより深く広いテーマに行き当たったのだと思います。

あとはビッグ綾波がグロイと言うか怖い。
ストーリー上でシンジは自分の無力さとアスカを助けられなかった事への罪悪感でついに消えてしまいたいとすら願い、結果としてサードインパクトが引き起こされます。

TVシンジの葛藤からの自立には「自身の価値」という要素が大きく絡んでいましたが今回は26話で補足的に出ていた「他者との関わり」から自立に至る流れが主でした。
あれだけ辛く、鬱な事があって何度も逃げたいと思ったにも関わらず、シンジは自立することを選びます。

前半Airでは本編から引き続きストーリー進行、後半まごころを君にでは25,26話のシンジの葛藤をストーリーに沿う形で描き直している。
そんな厄介の極みともいえる問題に変わった方法で向き合うのがこの作品。

なぜなら、この作品でのシンジの苦悩や葛藤の中心はTV版25,26話とは微妙に違うからです。
最後、ユイの言っていたように「生きている事はそれだけで素晴らしい」から、生きていれば良いことが見つかるから、他人との関わりが辛くても逃げずに生きていこう。

エヴァ初号機のパイロットとしてサードインパクトの全ての決定権を委ねられているシンジは全てが一つになっていく過程の中で他者の声や考え、感情などに深く触れる事でアスカの声を聞く事になります。
お互いの違いを認識し合うことで自分というものを意識できるようになるものの、自分と他人に分かれてしまいその摩擦から痛みや苦しみが生まれてしまう。

たとえそれが自分が消えるものだったにしてもです。
「アンタとだけは死んでも嫌」―と。

良い話ですし、話も動いてTV版に比べ退屈ではなくなったとは思うのですがなぜかTV版よりも分かりにくくなっています。
ここで起きたサードインパクトの概要とは、生き物を形作っている「壁」(ATフィールドの事)を物理的にも精神的にも取っ払ってしまい、一つに統合するといったものです。

ストーリー的に完結したのはこの作品の目的通りで良かったです。
この作品の結論から言えば、まぁぶっちゃけどっちでも良いんです。

もちろんそれで、めでたしめでたしと言う訳にはいきません。
アダムとイヴの神話で知恵の実を食べた事で互いを意識してしまい、痛みの無い楽園を追放されるという話がありますが、この部分はほとんどその神話通りの話です。

現代で他者との関係に悩まない人間はほぼ居ないでしょう。
あれはあれで一つの救済の形だったのだから、もっと安らかなイメージを作っても良かったはずです。

わたしはこのさくひんをコレクションしたことにほこりをもっています。

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