[ペットの思い出]私と6匹の相棒


6匹の猫と暮らしています。出逢いは様々ですが共通なのは里親募集からの子達です。

 始めの二匹は飲み仲間の家で産まれた一ヶ月程のメスの子猫をを引き取って欲しいという一言で家族が連れてきました。
小さなダンボールの中で一生懸命鳴いている姿を見たときに命の大事さを痛感させられました。これも何かの縁だろうと一緒に暮らし始めました。
実家は野良猫達が通ってくる家だったので、猫には慣れていると思い込んでいました。
それは母が面倒を見ていたからであって自分自身が子猫の世話をこなさなければならないという責任感が同時に重くのしかかりました。
ミルクを飲ませるのに哺乳瓶を買いましたが上手く飲んではくれません…そこで注射器です。
注射器なら飲ませれる!と始めたところ二匹はどんどん飲んでくれるようになり元気に部屋を走り回りだしました。
これで一安心と思いきや、今度はトイレのしつけでした。何度か失敗はしましたがすぐに慣れてくれたのでそれも一安心。
私も浮かれていたのでしょう…色々なおもちゃを買って遊ばせて一緒に寝る。そんな毎日が幸せでした。
しかし、片方の猫の目脂が酷く目を開けれなくなってしまいました。
ネットで情報を探し。動物病院にも電話をし…湿ったコットンや目薬で目が開くまでになりました。
この時の自分を振り返ると我が子が病気でどうしたら良いのかわからない新米ママの感覚です。
今ではその子の目は元気いっぱいのキラキラな目をしています。
もう片方の猫ちゃんは成長するにつれて目脂が溜まり検診の際にウィルス性鼻炎といわれました。
二年間は目薬投与をしていました。
しかし、改善する気配がなく鼻涙管洗浄という涙の出る点と鼻に 糸を通し綺麗にして流しやすくするというものです。
悩みましたが、大事な我が子です。最終的には手術をお願いして見事成功!今は経過観察中です。

そして、暴れん坊の三匹目が家にやって来ました。家に住み着いた野良猫の中で産まれた子でした。
大人しい女の子ですよ?と笑って何度か里親さん宅に逢って連れて帰りました。
先住猫の警戒心も多少はありましたがまだ二ヶ月ほどの子猫だったので母性本能が働いたのでしょうか?
すぐに仲良くなりました。家は木造の一軒家ですが…大人しかったのは数日の間だけだった!
カーテンを上りカーテンレールを呑気に歩きエアコンの上に乗り…そして降りれずに鳴く。なんども救出しましたが、それがその子にとっては楽しかったようです。
木造の家だったので扉も重い、火を使う時は二階に閉じ込めておきます。すると二階から「ドンっ!ドンっ!ドンっ!」と激しい音が聞こえてきます。
まさかと思いきや、扉の三段飛びです。
本当は注意をするのが飼い主なのでしょうが、ストレスの少ない環境にさせてあげたかったので笑って見ながら他のおもちゃで気を紛らわせてました。
今では一番太っているのでカーテン上りも三段飛びもできません。ダイエットをさせないといけませんね。

 そんな三匹と私の生活の中に突然三匹が現れました。
遠い知り合いが家で飼えなくなった。「猫の臭いで近所から苦情が来ていてこのままだと野良にするか保健所に連れて行かないといけない」と…その匂いというのが、猫のトイレを掃除したものをベランダにだしていたそうです。それは近所の人に言われても仕方がないでしょう。
後にその方は結婚するので猫を里親にだしたかったと本音を漏らしていましたが…人間のエゴで扱われるペットが多いのは知っていましたがショックでした。
私はコミュニケーションの広場を介して里親募集を開始し二匹は引き取り手が見つかり安堵してました。
他の二匹は私が引き取ろうと。(家が広いし、飼うことも可能でしたので)
新幹線で行かないといけない場所でしたが、何度か顔合わせにいきました。引き取りの日になり、里親さんとコミュニティを介して飼って頂ける方と顔合わせ。
ほかの方々は近隣の県の方ですぐに帰って行きました。今では幸せな生活を送っているそうです。
私だけが残った状態の時に遠い知人が「あと1匹がまだ決まっていない。期限は明日までなんです。1ヶ月後には迎えに行くので預かってほしい」と。
なにせ二匹の予定でキャリーも用意していたので、大きい子もいれるとなると…と悩みましたが切実そうに言われて1ヶ月は預かりますと約束して帰りました。
結局、その方とは中々連絡はつかず大きい子は子供を出産(子猫は私の知人が飼ってくれることになりました)猫が妊娠しているのもしらされていなかったので、出産をはじめた時は焦りましたが、往診の先生に来てもらいなんとか無事に出産を終えました。またここで小さな生命を見て命の大事さを知りました。
今は皆ヒーターの前で丸まって寝ています。最後まで読んでいただき有難うございました。

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