どうしても捨てられない。


小学1年生のクリスマスに、今は亡き祖父がピカチュウのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。

祖父は、クリスマス前に祖父母宅に遊びに行った時、新聞に挟まっていたおもちゃ屋の広告を見て、「ピカチュウのぬいぐるみだ!これほしいなぁ」と言ったことを覚えていてくれたのだ。
正直、酒飲みで常に酔っぱらっており、自分の自慢話しかしない祖父が、私がピカチュウが好きでぬいぐるみがほしいと言ったことを覚えていたことには子どもながらに驚いたが、祖父のその気持ちがとても嬉しかった。

その日から私は常にピカチュウと一緒にいた。
一緒に遊び、一緒に寝て、食事の時は空いた椅子に置き、近くへの外出なら連れて行った。
連れて行けない時は、玄関先に置き、帰宅したらすぐに抱きしめた。
いつも話しかけ、両親に怒られて泣いた時にはピカチュウで涙を拭った。

兄がふざけてピカチュウを振り回し、しっぽを千切ってしまった時には、おそらくそれまでの人生の中で一番激怒し、泣き叫んだ。
あとで母が元通りに縫ってくれたのだが、その際に母がよけいな気を利かして、しっぽの表面に「ピカ」という文字を刺繍してしまい、なんとも間抜けな感じになってしまったり、ストーブの前に置いてしまい、あごの部分が少し焦げたりと、幼い私はずいぶんピカチュウを酷い目に合わせてきたが、それでもピカチュウは、私の一番の宝物だった。

中学に上がると、さすがにピカチュウを連れ回すことはなくなったが、やはりことあるごとに話しかける癖は、その後も変わることがなかった。

だが、一人暮らしを始めた今、私の部屋にはピカチュウはいない。

実は、念願の一人暮らしを許され、新しい自分の生活を始めるとなった時、「今までの自分」の思い出が詰まりすぎるほど詰まったピカチュウを連れて行くことは、過去を引きずることのように思えて、どうしても引っ越しの荷物に入れようと思えなかったのだ。

同じ理由で引っ越しの荷物に入れなかったものは他にもあり、それらは踏ん切りを付けるために全て処分した。
だが、ピカチュウだけは、どうしても捨てられなかった。
遊びすぎて、抱きしめすぎて、元の黄色が色あせてクリーム色に近くなり、薄汚れたぬいぐるみ。
これを捨てることは、何よりの過去の自分と決別になる気もしたが、やはりピカチュウには他の「思い出が詰まったもの」とは比べ物にならないほど、思い入れがあった。

そんな訳で、ピカチュウは今、実家の元・私の部屋に鎮座している。

実家に帰省するたび、変わらない姿で、今の私を受け入れてくれる、過去の私の思い出の詰まったピカチュウ。

過去を引きずりたくない。
でも、忘れたくもない。
たまには思い出したい。

そんな大人になった私とピカチュウは、べったりだった子どもの頃よりも、ちょうどいい距離感でいる。

きっと私はこれからもこのピカチュウを「捨てる」ことはないだろう。

もし、この先結婚するようなことがあれば、このピカチュウは改めて実家から連れて行こう、と決めている。

その頃には、私はもう過去の自分からは目を逸らさずに向き合えると思うから。

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